趣味の遍歴(二輪と四輪)

す〜ぱ〜か〜ぶ、す〜ぱ〜カブ!
いつ頃からだったか、うちにはカブという名前の原付きバイクがあった。親父が書類を役所に届けたり、銭湯に行くのに使っていた程度である。
無線をやっていると、重い無線機やバッテリーを持って山に行く事も多いから、このボロバイクでも乗れれば便利だろうな〜とは思っていたが、高校教育で、「バイクに乗る=不良」というイメージを植え付けられていた身としては、「バイク=他人ごと」という感じでいた。が、高校1年の夏休み前になると、周囲に変化が起きて来た。
「俺、田舎だからバイクないと生活できないの」←真面目な同級生
「秋から中型免許なんてのができるから、今取らなきゃ」←不良予備軍
なんか、学校にバイク雑誌持ち込んでニヤニヤしてるやつもいるし。
当時、都会では「3ない運動」が始まった頃で、バイクへの風当たりは強くなりつつあったが、なんせ田舎の学校のこと、免許なしでは家の手伝いができないとか、生活に不便だとかで、とりあえず原付きと小型特殊は禁止されていなかった。
ということで、夏休みの午後、「友だちん家行ってくるね」と出かけて、原付き免許を取って来た。親も、初めのころは、「お願いだから、バイクなんて乗らないで」と言っていたが、まあ、そんなにスピードの出るバイクでもなし、ま、いいか、という感じになってきた。
が、夏休み明けの学校は、そんな程度ではなかった。大きなバイクは経済的に無理だが、RD-50, CB-50, DT-125 やら、みんな、結構バイクを買ってもらっている。そして、バイク大好きだけどまだ誕生日がこないという連中が悔しがってるという、そういうありがちな光景がくりひろげられていた。
私はというと、はじめは無線機を運ぶ道具という位にしか見ていなかったが、あちらこちら走っているうちに、なんか世界が広がったような気がしてくる。決してスピードを楽しむわけではなく、のんびりと気色の良さそうな所を走り回るのが、すごく好きになってきた。

軟弱無線部 or 廃部寸前自動車部?
そうこうしているうちに、大学生になった。親元を離れ、見知らぬ土地で一人暮らし。気楽な学生生活ではあるが、親元から会社へ通っている連中より、もっと大人になる必要があるかもしれない。
生活道具の調達、大学のオリエンテーション、受講科目の登録、学生街のいろんな店のチェックと、あわただしく時間は過ぎ、また、生活も親元にいた頃とは大きく変わっていった。
生活にも少し慣れ、大学で道に迷わなくなった頃、大学の無線部の部室を訪ねた。壁には賞状とかがかけてあり、なかなか活発なようだ。先輩に活動内容を尋ねてみると、「春には、XX短大を合同で、コンテストに出る」、「夏にはXX女子大とキャンプ」、「それ以外にも、合コンは年10回位かな」.....ヲイヲイ、そんなこと聞いてんじゃないよぉ。「うち、女子部員いないけど、大丈夫だよ。XX医療短大の子が、しょっちゅう出入りしてるから」....んー。最初に会った人の印象で見るのは良くないけど、なんか、入る気なくすなぁ。とりあえず、見学者リストとやらに名前だけ書いて帰ることにする。
「あれ、鳥山君って、どっかで聞いたな。そうそう、CQ誌に記事書いてなかったっけ?」
たしかに読者の製作だかなんかに2、3度投稿したことはあったけど、あんなので名前までおぼえてくれてるなんて、少し驚き。まあ、悪い気はしないけどね。
でも、なんか、軟弱な雰囲気にアテられて、無線部には足が向かなくなる。で、プラプラしてると、いかにも女っけのなさそうな先輩に捕まる。さて、この人、伝統ある自動車部に入れ!とおっしゃる。何の気の迷いか、あっという間に自動車部に入ることになってしまった。
確かに伝統はあった。が、廃部寸前で、まともに活動をしている部員は、近々引退する人が2、3人というとんでもない部であった。この部での活動は、この部を何とか人並みの部に仕立て、後輩に渡すという、どちらかというとむなしい、地道な活動に終始することになる。
まずは、車の免許を取る必要がある。が、試験場のある平針は遠い。ということでブートストラップ作戦をとることにした。
1:友人の原付きバイクを借りて、2輪免許を取る
2:バイクを買って、それで4輪の試験に通う
これで、無事、免許を取ることができたが、最初の予定より時間がかり、4輪の免許を手にするのは秋になってしまった。実技試験が10日後くらいにしか予約できず、講議とかの都合を考えると、結局、月に1、2回しか受けられなかったのが主な理由であった。夏休みにアルバイトで稼いで、その金で自動車学校に行くという、軟弱にして、もっともオーソドックスな方法が、結局は一番の近道であったようだ。
自動車部の活動で、印象的なことはあまりなかった。そして、自動車部を後輩に渡す頃、1つ上の先輩が卒業前の忙しさから、アルバイトを回して来た。なんでも、先輩の高校時代の友人の義兄さんが零細オーディオ会社をやっていて、そこで真空管アンプとかを作る仕事らしい。なんか、女工さんみたいな仕事だが、自動車部に行かなくなって時間の余裕ができたので、しばらく行ってみることにする。会社といっても常勤は社長一人。あとは、奥さんが事務と製品の発送、休みの日に学生アルバイトが2、3人という、小さな会社である。社長が、「これでも株式会社の社長だぞ!」と言うと、奥さん「私も取締役なんだから」、これは2、3回聞いたが、そのつどウケていた。この会社、社長の名前を取って、Maki Electronics Corporation 、略して MELCO という名前だそうな。